氷室京介「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」東京ドーム初日

5/21(土)に氷室さんのLIVEに参戦して参りました。
今年の元日の新聞一面広告でLIVEツアーの告知を見て。衝撃でした。氷室さん。熱狂したわけでもないし、青春の1ページでもない。リアルタイムのBOØWYは知らなくても、彼らの歌は何曲も口ずさむこともできる。それくらい影響力の大きなバンドだったのであろうし、私にとってのBOØWY氷室京介であり。
これが最後なのかと思うと、是非ともそのステージを見てみたいと思いました。チケットボードの会員登録が済んでいることもあって、後日チケットボードから届いた案内メールに沿って東京ドーム初日の抽選に申し込み、当選。
念願の氷室京介との初対面。ステージの上の氷室さんは、とても55歳とは思えずパワフルでいて時に可憐。怒られそうですが。この人は、こんなにもキラキラとしたあどけない笑顔を見せる人なのかと驚きました。
遡ること開演前。1階席から眺めるアリーナ、花道もバクステもなく、ひたすら座席でびっしりと埋まっています。最前列は1列席数最多のおよそ220席、最も長い中央の最後列は90列。スタンドには見切れ席とか見切れ体感席といった設営はなくて、直前に発売されたリアルライブビューイング席は一般席と少し距離を置いて3塁外野席に設けられていました。ステージはすぐそこにあるのに、スクリーン越し見ることしかできない…
開演時刻の18時が近づくと、客席から呼びかける声や手拍子が湧いては消えが繰り返されます。氷室さんのLIVEはこうやって始まるのですね。
公演序盤から曲と曲の間に、氷室さんは短いけれど何度も語りかけてくれました。まともな大人になれるのかも不安だった自分、俺の常識は世間の非常識、そんな自分が35年活動してこられたことへの感謝。曲への思い入れとかエピソードの他にBOØWY時代の出来事も。ブレイクする直前、メンバーも大人になり始め、陰湿な感じではないけれども、関係が悪くなったそうで。そんな状況なので氷室さんが初めて単独で曲作りをしたのが、アルバム『JUST A HERO』製作の時。その経験がソロ活動の原動になったという主旨のお話が一番長かったかな。それから、NEWS ZEROにテーマ曲を提供した当時のお話。自分が手がけることを反対する人たちもたくさんいただろうにと、不器用な表現でオファーしてくれたことへの感謝の思いを。思い出を話すのは、最後のステージだから?35年の中にはBOØWY時代も含まれるわけで、実名こそ出せないけれど、当時のスタッフさん、そしてメンバーだった方々への感謝が込められているんだと思える。あまりの不器用さに泣けてしまう。
LIVE中の氷室さんに、残念なところなんてどこにも見当たらない。耳の不調を感じさせる仕草も少なかったし、汗だくになってシャウトし続けていた。集結するファンは5万人以上、依然として人気が高い。なのに、惜しまれつつ、今回が最後のツアー。氷室さん、中盤過ぎからすごくいい笑顔を見せ始める。何度も、何度も。LIVEが楽しくて仕方ない、観客の反応が嬉しくてたまらない、そんな笑顔でキラキラしてる。
2年前、氷室さんは氷室京介を卒業、終わらせたいと言った。体がもたない、いっぱいいっぱい。思うようなLIVEができなくなったのは年齢的だったり身体的な問題だし、そう言われてしまうと引き止めることなんて誰にもできない。2年前の決意の裏側には、堪え切ることなんてできないほどの苦しみと辛さがあったのだろう。でも、今目の前のステージ上でシャウトする氷室京介は、これで幕引きとは到底思えない姿。こんなにもLIVEを愛しているのに結末に向かって走り続けている姿。酸素吸入し、左耳のイヤモニを強く押さえつけ。涙が溢れ出して止まりませんでした。
2日後の5/23。ラストツアーは東京ドーム3日目の最終公演で閉幕し、ライブの無期限活動休止となりました。LIVEとは違った形で、氷室さんの歌う姿を見ることはできそうです。氷室さんのやりきって整理がついたという気持ちを尊重して、ファンのみなさんは温かな気持ちでこれからも静かに氷室京介を見守っていくのでしょうね。